市民ランナーはアスリートたりえるか?

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最近、HYROXのプレイヤーはアスリートかそうでないか論争が活発だ。ちなみに私個人は、「否定よりだが割とどっちでもいい」という無関心に近い立場をとる。

アスリートとはなんたるかを明確に定義することは難しい。シンプルに和訳すると「運動選手・競技者」ということになるが、「身体を鍛え、競技や試合で勝つために継続的なトレーニングを行っている人」とより狭く捉える方が自然なように思う。

線引きはどこかといわれても、ぶっちゃけ定義なんてあってないようなもので、アスリートを名乗ってしまえばアスリートだし、名乗らなければ「HYROX愛好家」「(市民)ランナー(casual runner/jogger)」といった表現になるだろう。ここを少し深掘ってみる。

かなり前のことでうろ覚えだが、トップアスリートと交流させていただける機会があり、トップの方から「お仕事などと両立しながら上を目指す市民ランナーの皆さんは、もはやアスリートだと思います」といった言葉があったように思う。それがきっかけかどうかはわからないが、私の周りのごく一部で、自分たちを「市民アスリート」と表現することがちょろっと流行った気がする。

私はトップの方の謙虚な姿勢にいたく感銘を受けたものの、自分でアスリートという言葉を使う気にはなれないなとは感じていた。というのも、個人的な感覚として、アスリートという表現には、いくらか呼ばれる人に対するリスペクトが含まれているように思っている。もし彼らがネガティブな行動をとれば「アスリートなのに…」と表現されることからも、少なくともポジティブな意味合いが含まれていることは間違いないだろう。

もっと言うなれば、私は「自分が楽しいから走っている」だけである。私の考えるアスリートは、そんな低い次元で競技をしていない。成績向上を目指して、多大なる犠牲を払いながら、数少ないチャンスをつかみに行くのだ。人によっては適正を考え、やりたくない競技・種目に転向することだってある。また、競技者の数だけ敗者が生まれる厳しい世界でもある。

我々が仮にそれを「本気でやってます」と言おうが、しょせん趣味は趣味であり、犠牲だってせいぜい他の趣味に回す時間ぐらいのもんだろう。草野球選手にアスリートなんて言わんしな。

もちろん、アスリートか否かを競技力で測るのもおかしい話だ。私はどっちかというと「その競技に対してどれだけ本気・夢中になっているか」「自分がその競技に必要と考える時間(=これは人による)を惜しみなく注ぎ込んでいるか」あたりが、アスリートとそうでない人の線引きになると考えている。仕事以外は全て競技に…いやなんなら競技のために仕事すら変えてやろう、ぐらいのマインドがあれば、それは立派なアスリートではないだろうか。